汾酒(フェンジュウ)は南北朝時代(420年~589年)から山西省杏花村で生産されている中国を代表する酒です。汾酒の前身は黄酒(紹興酒と同じ醸造酒)で、もともとは汾清(フェンチン)と呼ばれていました。
東魏・北斉の歴史を記載した正史である『北斉書』によると、
北斉4代皇帝の武成帝が晋楊(現山西省太原)に在って言うには、吾、汾清二杯を飲む
という記述があります。「武成帝が河南の康舒王あてに、汾清を進めたほど愛飲した」という記述もあり、悠久の汾酒の歴史が垣間見れます。
汾酒の味の特徴
汾酒の特徴は独特の上品な風格があり、無色透明。清香の風味が素晴らしく、味は濃いが美麗。アルコールの刺激が少なく、さっぱりとした清涼感ある後味。
飲む人に、杏(あんず)の精がのり移ったような心の悦びを与える酒です。
神仙が訪れ井水が美酒に変わった汾酒物語
汾酒のおいしさの一つに良質の井水(井戸の水)があります。杏花村ではこの井戸を守るため、昔からその上に四阿(あずまや)を建て「古井亭」と称してきました。その古井亭にはこんな言い伝えがありました。
これは酔仙居という有名な酒店での物語です。ある冬の日、酔仙居へボロボロの服をまとった一人の老人がやってきて酒を注文しました。老人は飲み終わると一銭も払わずにさっさと立ち去っていきました。
店の者は代金を取るように主人にいったが、主人は笑って聞き流しました。翌日もまた老人がやってきて、店に入るなり酒を注文しました。老人が肌をあらわにしてぶるぶると震えているのを見た主人は、大きな腕で酒を飲ませました。それを飲み終えた老人は、一言もいわずに立ち去りました。
主人は
金持ちは金があって酒を飲み楽しむことができるが、貧乏人は酒を借りてでも寒さをしのがねばならない
と言って気にかける様子もありません。そして、老人は三日目もやってきて、いっきに三杯飲み干しました。立て続けに飲んでしまったので、老人は酔いつぶれてしまいました。主人は老人を暖房のきいた部屋に連れて行って寝かせました。
酔いから覚めた老人が店を立ち去ろうとしたので、老人が倒れるのを心配した主人は支えてあげました。門前の井戸のろこまで来た時に、老人は主人に
この井戸で酒を造るのか?
と問いました。主人が「そうです」と答えると、老人はさきほど飲んだ酒をその井戸の中に吐き出しました。そのとき、井戸から清香がただよい、たちまちのうちに井水は美酒に変わっていきました。
老人は神仙だったのです。それ以来、この井戸を「神井」と呼びようになり、古井亭には「得造花香」と書かれた扁額が掲げられたと言います。得造花香とは「水は花の香りのように優美である」という意味です。
汾酒の特殊な曲(麹)
汾酒の特徴の一つに大豆とエンドウ豆で作った青茬曲(麹)があります。青茬曲は口に入れると少し苦くて渋く、断面が青白色。
また汾酒の作り方は独特で、甑(こしき)で蒸したコーリャンに粉砕した青茬曲を加え、土中に埋めた大きな甕(かめ)に仕込みます。通常であれば、窖に入れるのですが、汾酒では甕を使います。ここが他の白酒と異なるポイント。この仕込み用の陶磁器の容器を大缸(ダーガン)といいます。
青茬曲には様々な微生物がいて、大缸を使った発酵は保温が容易になります。発酵作用は旺盛となり、発酵の期間は21日と短くなる。最後の数日間はほとんど発酵が停止するほど。この発酵により、清香型を構成するエステルの生成がスムーズに行われます。
汾酒の特殊な醸造方法「清蒸二次清」とは?
- 1回目の発酵を終えた酒醅(ジュウペイ※もろみ含む)を大缸から取り出す。
- 酒醅に粟糠(あわぬか)を加えて、蒸留し、冷却させて、アルコールをとる。
蒸留の初留部「酒頭」、後留部「酒尾」は取り除く。 - 再び、曲を加えて、大缸に入れ、2回目の発酵をさせます(21日間発酵)。
- 2回目の発酵を終えた酒醅(ジュウペイ※もろみ含む)をまた大缸から取り出す。
- 酒醅を蒸留し、冷却させ、アルコールをとる。
蒸留の初留部「酒頭」、後留部「酒尾」は取り除く。
1回目と2回目の蒸留で中留「酒身」だけを酒としますが、中留部の量が少なければ少ないほど酒質の純粋清浄は保証されます。そして、1回目と2回目の蒸留酒をブレンドしたものを甕に入れて熟成させて、完成です。
汾酒の七か条
最後に、昔から汾酒を作ってきた職人たちの七つの秘訣がこちらです。
- 汾酒を造る人は精魂込める(人必得其精)
- 醸す水は甘きものを選ぶ(水必得其甘)
- 曲は仕込みに合わせてつくったものを選ぶ(曲必得其時)
- コーリャンはびしっりと実がついたものを選ぶ(高粱必得其実)
- 器具は常に清潔なものを使う(器必得其潔)
- 缸は乾かしてはならない(缸必得其湿)
- 蒸留する時は日を強火でないといけない(火必得其緩)
南北朝時代から続く、中国で最も古い白酒。ぜひ、お試しください!